早大って広い・・・

母と子

今日は「柳田國男の会」*1が開催されるというので、早稲田大までのこのこと出かけました。
『先祖の話』再考とかで、自分の研究にも関わる話題なので、動向を知りたいという動機です。


ええと、えらい長くなってしまったので、隠します。
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午前中の発表とか総会とかはいっか・・・と思い、13時に着くべく12時30分に東西線早稲田駅へ到着。
行けばなんとかなるだろう、と考えていたため、どこの教室だとかはまるきり覚えていませんでした。
早稲田大といえば大隈講堂。
というわけで、とりあえず正門の方へ向かいました。
しかしどこにも案内が無い。
途方に暮れつつとりあえず守衛さんに会の名前を告げて、どこで開催されているのかを尋ねたのですが、わからないとのこと。
文学部かもしれない・・・と伝えたら、それだったら校舎が違うからそっちへ行くように、とアドバイスされました。
文学部って・・・遠い・・・
やっと着いた文学部でも、案内がありません。
やはり困って守衛さんに尋ねたところ、今度は無事に会場を教わりました。
行きがけにお茶を買いつつ、会場へ。13時まであと10分くらいです。
受付を済ませたところ、13時に終わる予定の総会が長引いているとのこと。
午後は14時からだ、と言われたので、仕方なく途中にあった生協の本屋に寄りました。
あまり期待していなかったのですが、なかなか面白い本が並んでいました。
主に芸術関係。
一柳廣孝編『心霊写真は語る』は、心霊写真がどのようにリアリティを持ってきたのかというテーマでした。
中村圭子編『石原豪人』は、妙にリアルでなまめかしい挿絵画家の紹介でした。
この2冊は自校の生協で注文しようかな、などと考えつつ。
14時まであと10分というところで、再び受付へ。
ところがまだ総会は終わっていなかったのです。
昼食の時間があるから15時からかも、と言うことだったので、下階のオープンスペースでこの水曜に発表するゼミのレジュメなぞを作っていました。
しばらくすると、そこへ受付をしていた方の内の一人が、午後の部は14時10分から始まることを教えてくださりました。
ありがたや。
で、会場の席に着き、午後の部開始。
野村典彦さんの『「居ながら」の旅と伝説―お座敷〈民謡〉やスタムプ蒐集を背景としての「木思石語」』と題された発表は、観光地理学ともつながりそうで興味深かったです。
次いで目当てのシンポジウム。
・・・ですが、正直、期待外れでしたねぇ・・・
高見寛孝さんの『戦没者の遺書に見る他界観念』は、刑死者の遺書のうち、自らが死後どこへ行くと記していたのかを分析したものでした。ですが内容はそれだけで、議論の発展はありませんでした。
コメンティエーターの土居浩さんによる、史料批判がないというコメントは的を得ていました。
大山裕史さんの『近代墓地行政からの視点』は、墓地の公園墓地化と先祖祭祀の対象の変化についての発表でした。柳田國男が『先祖の話』の中で述べたのは都市化による墓の様式の変化であり、先祖として祀る対象の変化である、という読解は正しいと考えます。ですが、その読解とご自身のお考えとが整合していない印象がありました。先祖とする対象の変化を都市住民にのみ求めるのは実態と会わないと考えます。
2006月3月に発表された 岩本通弥「戦後民俗学の認識論的変質と基層文化論」は、福田氏による『先祖の話』の「誤読」の基と考えられる、戦前戦後の民俗学における「民俗」の捉え方の変化の過程を分析する論文でした*2
『先祖の話』の分析に対しては注目すべき論文だと考えられるのですが、この論文についての発言は、コメンティエーターの指摘と司会の矢野敬一氏による見解(内容が少しズレていると考えますが)のみでした。
お二方の発表内容とも、事象の分析を積み上げて考察するのではなく、「インスピレーション(二方とも!)」による発想の飛躍を跡付けるために事象の分析を行っている印象を受けました。
ううううむ、民俗学の世界って、この程度の論証レベルでOKなのか?!とちょっと不安になりました・・・


会場にはsharmk2zちゃんも来場していました。
ひさびさに少し話ができて、うれしかったです。


写真は、帰り際に見かけた母猫と子猫です。
子猫は3ヶ月くらいでしょうか。
道路にいたところ、自分が近づくと車の下にいた母猫の元へあわてて走っていました。
写真を撮ろうとケータイを近づけたら、その間中母猫にうなられていました。
母猫の奥にいるのが子猫です。

*1:http://homepage1.nifty.com/yanagita/

*2:http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/kankoo/ronbun6.html、もう少ししたら論文紹介をしたいと考えています