そのあと学校へ

図書館の地下の閉架で、ひたすら資料集め。
茨城県の市町村史を漁ってました。
対象は、新田開発で分村を出した元の村の分布と、現利根川下流域の災害史。
探しているうちに、今年の調査の方針みたいのが、にわかに立ち上がりました。
とりあえず、水系の復元を試みて、そこと盆行事の分布状態を重ねてみます。
そうすると、ひょっとしたら新田開発地帯の「先祖になれない」死者の祀り方に、特徴が見出せるかもしれない。「当時の無理な政策のツケが・・・」みたいな話の流れができる、かも、しれない。
また、開発した人が、どこの出身で・いつ入植したか、というのを詳しくやってみると、「いつから始まったか」というのが言える、かも、しれない。
元々ここに川灌頂の風習があれば、
「移住→先祖になれない死者が家族に発生→家族ではないが先祖になれない死者を祀る川灌頂がある→既存の方法で対処できないため川灌頂を取り入れる→形状変化・「ガラガラ」「閼伽棚」となる」
みたいなストーリーが描ける、かも、しれない。
先入観に縛られるのは危険ですが、ある程度の話の方向性、みたいのは建てられた気がします。