さらばJB

ジェームス・ブラウン死去。

【ワシントン25日】「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」と呼ばれた米ソウル歌手ジェームス・ブラウンが25日、アトランタの病院で死去した。73歳だった。米メディアによると、肺炎を患い、24日夜から入院していた。

1953年にプロデビュー。観客をとりこにするライブで人気を博し、50年代後半から60年代初頭にかけてソウルの第一人者となった。60年代に絶頂期を迎え、「パパのニュー・バッグ」や「アイ・フィール・グッド」が数週間にわたってヒットチャートの1位を維持した。

60年代末には、雑誌の「米国で最も重要な黒人」に選ばれた。70年代に入っても「スーパー・バッド」「セックス・マシーン」などのヒット曲を連発。85年には映画「ロッキー4」の挿入歌「リビング・イン・アメリカ」で復活を印象付けた。

33年、サウスカロライナ州バーンウェルで、ガソリンスタンド店員の一人息子として生まれる。4歳の時に両親が離婚。おばが経営するジョージア州の売春宿で育った。10代前半で学校をやめ、靴磨きや皿洗いなどをしながら過ごし、16歳の時に強盗を働いて逮捕された。

70年代中ごろには、ラジオ局の贈賄事件に関与。妻と離婚し、息子を交通事故で亡くした。その後も、薬物使用で逮捕されたり、再婚した妻に暴力で訴えられたりするなど、波乱の人生送った。〔AFP=時事〕
2006年12月25日(月) 時事通信

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さびしいですね・・・