かっちった。

竹本泉『よみきりもの』3巻。
久しぶりに買いました。好きなんです、竹本泉
それはもう、なかよしの『パイナップルみたい』の頃から・・・
あいかわらず、妙な作風ばくはつです。


もう一冊。こうの史代こっこさん』。
学校帰りに白色レグホンを見つけてしまい、家で飼いだす小学生の女の子のはなしです。
実は自分、バイトの塾の冬期講習で、自宅でメンドリを飼ってる小4の女の子に理科を教えてまして。東京ですよ、東京。
なんか思い出しました。彼女には大学レベルの生物の内容も教えちゃったなあ・・・カリキュラムとか無視してよいとか言われたものでつい・・・
こうの史代って、某朝日新聞で、「高野史子の再来」とか言われてたひとだったような気がします・・・
確かに画風なんかは高野史子と似たものがあるのですが。
ラストのことごとくのドライなオチは少し違うような。
高野史子もラストにどんでん返しがあるものが多いみたいだけど、なんていうか、それよりもさらにドライな。突き放したような。
えらい楽しかったです。
そんなに心温まらなくて好きです。・・・いや、ぜんぜん温まらないなんてわけではないのですが。
ニワトリのこっこさんと家族の関係や、家族同士や、友達同士が、通じ合っているような合っていないような。
ビミョ〜な距離感。
高野史子は、もうすこし周囲の人々との関係に一体感がありました。
しかし、表現者として、「だれかの再来」とか言われるのって、うれしいのでしょうか。
いや、高野史子が悪いわけではなく。むしろとてもユニークな作家ですけど。
表現者たるもの、孤独に独自の世界を作りたいものでしょう。
そして、「だれかの再来」とか言われたその「だれか」にとっても、あまり好ましくないような気もします。


論文書いたり研究したりするのってのも、つきつめれば自分を表現する行為だと自分は考えています。
「だれかの再来」とか言われないよう、またその「だれか」にならないよう、油断なく進みたいものです。


ここまで書いててナンですが、こうの史代が高野史子の再来って言われてたことは、ひょっとしたら違うかもしれません。自信なくなってきた・・・