ひさびさの

一見リタイア

千葉でした。
今日は千葉県立中央図書館にて、民俗地図の千葉県版解説その他を調べに行きました。


水害についても調べたかったのですが、いろいろと・・・
まず、水害で死者がでたのかどうか。
これは、文書だの過去帳だのを見ないといけなさそうです。ただし、文書は江戸時代からと見たほうがよさそうです。
あと、水小屋とゆー、住宅の敷地内とか近くとかの高台に、出水時に避難場所のための小屋の調査。これで、だいたいの水害時の水かさがわかるでしょう。
水害の碑の有無。ただし、石などで墓碑や顕彰碑が作られるようになったのは江戸時代からのようなので、水害の碑も同じでしょう。
つまり。
直接の水害がわかるのは、江戸時代以降。
墓の盆棚は、江戸時代からとは思えないので、最初はなんのつもりなのかというのを検証するのは難しそうです。
ので、搦め手として。
天王を祀った神社や碑を調べるのも一つ。
水害→農作物の被害→疫病 という被害の連鎖が予想されます。
で、千葉北部や茨城南部では、天王を疫病を抑える神として祀っているようです。
なので、天王や、同じく祇園系の八坂神社の分布を調べると、疫病の被害が及ぶ地域がわかるのではないか。
そして。茨城南部では、天王の起源を「川の上流から流れてきた」とする言い伝えがあるようです。
天王は川とも関連がありそうです。


水害による死者があったとして、それがどうして盆に棚を墓前に供えることになったか。
水害や疫病で、それぞれの家に死者があったのか。
一家全滅という事態もあったでしょう。
そして、現在は他の家の墓に棚を墓前に供えることはない。
ある地域で、同じ形の棚がなぜ家ごとに供えられることとなったか。
ひょっとしたら、柳田國男が言ってたように、最初は集落で合同で水死者などを祭っていたのではないか。それが、家々で同じものを祭るようになったのでは。
墓と同様の変化が起こったということになります。
これを検証するためには、どこかで今でも集落で共同に、死者に対する供えを行っているかを調べるのも一つの方法です。
それには、共同墓地の無縁仏の墓前を見るか、寺を見るか・・・
ただし、寺では「仏教の教えとは違う」という証言があるように、積極的に行っていたとは思えません。


などなど。水害は、まず現在全国で水害がどこでどの規模で起こっているのかを調べることが先決のようです。
それを元に地域を決めましょう。


で、千葉。ひさびさ。以前は千葉市でおしごとしてました。
やはり、大分変わりましたね。当然と言えば当然ですが。
ダダイズムのような建物の薬屋さんが駐車場になってたり、ごちゃごちゃしたスーパーが更地になってたり。
で、千葉のパルコのタワーレコードにふらふらと寄ったら、変なCDを見つけました。
Congotronics"Konono No1"。
コンゴのおじさんたちが、「楽器がなければ作ってしまえ」とばかりに、自動車廃品部品や産業廃棄物、食器を使って、自前でアンプだの楽器だのを作ってしまったバンドのようです。
買っちゃった。
音がぐにゃぐにゃで、ファンキーです。


写真は、千葉で見つけた元神社。
と思いきや、一升瓶が置いてあったり注連縄用のロープがかかってたり、よく見ればまだまだ現役なのかもしれない佇まいでした。