バイトの帰り

先日購入した 田中宣一『祀りを乞う神々』 を読んでました。
まだ途中。


その内容は以下のように概略できそうです。
祭が行われる際に、メインゲストである主神と、それについてくる雑神がやってくること。
そしてその雑神は、主神に対する祭祀を妨害したり、祟りを及ぼしたりする可能性があること。
祭の主催者は、望まないのだが、雑神に対する祭祀(主神に先立てて)を行うこと。
祭は主神に対するものに加えて、雑神に対するものも含まれているのである。


正月の祭祀にも雑神に対するものが報告され、盆における先祖神と外精霊の関係に対応する、ということが書いてありました。
なかなか興味深い。
大島建彦氏や三崎一夫氏の報告にもそれらしいのがあるそうです。
思えば鈴木満男氏の台湾の中元節の報告にも、海からやってくるさまざまな霊に対する祭祀が書いてありました。
「ガラガラ」の対象とされる「ルスバンノヒト」が、先祖の供物を食べてしまうという証言や、「ガラガラ」を供えるのをやめると「何かあったらイヤだ」という証言を思い起こします。


・・・しかし、ここで演繹的に論じ始めると危険です。
血液型の正確判断みたいになります。
よくよく考えると、盆に墓に「ガラガラ」を供えるのは、先祖を家に迎える翌日の事。
先祖を主神とすると、それに先立つ祭祀とは必ずともいえません。
とはいえあながち無関係なものとはいえず、頭の片隅においておいてもいいかもしれません。
かなりあいまいな表現。


この本に、烏に供え物を与える、という神事が報告されていました。
主神とは別に雑神に対する供物は、祭場から外れたところに供えられます。
烏などの動物が、その供物を食べることも多かったでしょう。
そこに群がる烏などと、供物をあさる雑神、さらには仏教説話の餓鬼とのイメージが重なったことも、想像にかたくありません。
・・・だから、演繹的な論理の立て方はやめろって。
なかなか危険かもしれません。
がんばります。