恐山記録(20日)

さて、先日行って来た恐山の記録です。
出発は19日23時、東京駅でした。
学生さんのお母様は、自分の分までお弁当を用意してくださっていました。おいしかったです。
さて車内でお互いのことを紹介しつつ、ついついディープな話もしつつ。
なかなか寝つけませんでした。
通路を挟んだ席に一人で座るおにーさんは大きな独り言は言うはふと気付くと上半身裸だはで、ちょっとはらはらしてました。
そうだ、途中のサービスエリアでトラックの荷台に積まれた3頭の牛さんを見ました。ドナドナを口ずさむ学生さん。おいしく食べられることを願いつつ。
さてそんなこんなで青森駅に着いたのが翌20日の朝9時10分くらい。
青森駅から下北駅まで1日に3本しか電車がないのですが、そのうちの1本が9時25分だったので、急いでホームへ向かいました。
下北駅から恐山まではバスです。
途中、バスは観光名所のようなところをいくつか紹介していたのですが、そのうちの一つ、「霊水」の湧き水の箇所でしばし止まりました。
降りて水を飲んでみると、ほんのり甘い。
次の日に水を汲もうと二人で思いつきました。
それからしばらくして、バスは恐山に到着しました。
(以下長くなるので読みたい方だけどうぞ)
恐山の山門より中に入ると、いたるところに石が積んであります。
緯度のせいか標高のせいか寒さのせいか硫黄のせいか、植生がまばらでした。
見渡す限りの石と溶岩の世界に、なんだかやたらと手ぬぐいが巻きつけられていました。
・・・なぜ?
id:tanzakukaita:20060718 の注で述べたように、恐山はオキツスタヘ、すなわちかつての遺体の「棄て場」だった可能性があります。(ただし「両墓制」の前段階です)
石を積むのはその墓印の名残である、という説明が可能です。(あくまで可能性ですが)
現在も納骨堂が存在するのは、その意味では理に適っていると言えます。
ですが、現地では卒塔婆はあるは、戒名を記したものはあるは、墓石はあるは、といった、「詣り墓」の風情も見せています。(こちらは「両墓制」以降)
それどころか、○○地獄、△△地獄といった、地獄巡りの様相も呈しています。
なんだか地獄テーマパークのようだと感じました。
恐らく本来の意味が変質し、参拝者も自覚がなく、なんだか面白い場所になっていました*1
二人して「おもしろいですね〜」とはしゃいでました。
出口の近くにイタコの小屋がけがありましたが、疲労も激しくなってきたしバスの時間だしで、イタコの口寄せは次の日に、としました。
それにしても、硫黄がものすごく発生していました。
歩いているうちに、二人とも物の名前がでにくくなっていたり、頭が重いような気分になっていたりしました。
硫黄のせいか、それともバス泊の疲れのせいか、判断はつきかねますが。
20日の恐山の写真を以下のサイトにアップしています。
(容量オーバーのため、2つに分けてあります)
http://photofriend.jp/photo/24860/ (「撮影日(古い順)」に並び替えると、歩いた順番になります)
http://photos.yahoo.co.jp/ph/tanzakushot2/lst?&.dir=/32d9&.src=ph&.begin=9999&.view=t&.order=&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/ph/tanzakushot2/lst%3f%26.dir=/32d9%26.src=ph%26.view=t
いやあ、舐めていました、恐山。寒い・・・

*1:「げにも哀れな幼児が川原の石を取り集めこれにて回向の塔を積む(入場券裏より)」なのに、お詣りしてる側が石を積んでどうするのだ、という疑問もあります。まあ、こじつけですが