神保町

ひさびさです。
本当の目的は違いました。
某M大学の図書館へ行こうと思い、車内で、そういえば神保町が近かったよな〜・・・と思い出して途中下車。
ゴールデンウィークなのに、けっこう開店してました。
で、ひとしきり店を回ってM大へ。
・・・うちのガッコより、自分の欲しい本がたくさんあるってどゆことよ・・・
着いたのが16時過ぎ。
そしてなんと、本日の閉館が17時。
ぎりぎりです。
とりあえず、水害関係の本をピックアップ。
使えそうな参考文献をリストアップ。
幸い自分の大学にも所蔵してある雑誌などだったので、一安心です。
で、どっかの記者の人の、江戸時代の水害のルポがあったので目を通してみたところ、興味深い記述がありました。
大水害の被害者を供養するために、川灌頂を行ったとのこと。
近世の水害と、新田開発や開墾との関連は無視できないとのこと。
川灌頂の件は裏をとらなければいけません。
水害と開発・開墾との関係も、どっかで指摘されていました。
御霊と水害被害者を結びつけらえるのは、江戸時代以降であるという仮説が経ちます。
ですが、そんな新しい時代の供養対象者が、現在では意味がわからない「ルスバンノヒト」となるのでしょうか?理由が忘却されるには、さらに時間が必要なのではないでしょうか?
また、新田開発がなされない以前の異常死はどのような扱いだったのでしょうか?
そして、それ以前は、ほんとうに水害の被害は比較的小さいものだったのでしょうか?
よくわかりません。
とりあえず、全国の河川分布と新田開発と現在の被害状況との重ねあわせが必要なようです。
別に、死者に対して、人々はどのような感情を抱いてきたのかを調べる必要もあるようです。さらに、死体と霊魂とでは扱いが違うのか。これらは、言い伝えや怪談である程度説明できそうです。
死者はどこへ行くのか。死者はどのような存在か。死者に区別があるのか。
これと、現実に行われている盆行事の内容とが対応しているとします。
それを、どのように論理的に説明するか。
なんだか1年で終われるのか不安になってきました。