寝不足です

朝。5時。
ネコのケンカの声で起きる。
家のオスネコ2匹は外出中。
あの高い声は、そのうちの1匹に似ている気がする。
・・・うう、気になって眠れず。
布団の中で、思考しだしてしまう。
修論の論理展開の一部が思い起こされてしまう。
このタイミングで、メモをせねば、逃してしまう・・・と、起きだして、メモ。
メモしているうちに、いろんな連想が生じ、メモを続ける。
ああ、『先祖のはなし』を読み直さねば(4回目)・・・
と、思い立ったところで、発想が途切れたので、眠る事にする。


と、寝不足の中で起床。
今日は1ヶ月ぶりに、むさくんと遊ぶことになってました。
ひさびさ。


帰宅して、軽い頭痛と重い肩凝りに気付く。
寝不足のせいだな・・・


明け方に思いつき、電車の中で続きを考えた内容は、時間に関するものです。
柳田國男『先祖のはなし』より、年越しの時間関係です。
かつては31日の日の入から忌み籠りを開始し、次の夜明けをもって年神(=祖霊)を迎え(門明け)新年とする、という説です。

盆と正月とは共に祖霊を迎える(かつては春分秋分も?)とすると、両者の時間関係は対応するであろう、とあります。
となると、平塚榎台ほか、南関東利根川・現利根川下流域に広く分布する時間関係はどうか。
すなわち、夕方6〜7時ごろ迎え盆をし、翌3時ごろに14日の墓参(留守墓参り)をする、というのは、上のかつての年明けと似ているのではないか。

となると、かつては日の入から日の出まで、ひょっとしたら忌み籠りをし、日の出に祖霊を迎えたのか。
迎えたあとに供え物をするとすると、やはりその後墓になんらかの霊がいると想定したか。
盆14日の3時に、家に迎える霊と迎えない霊の選別が行われたことになる。
その選別の基準はなにか。
迎えられない霊とはなにか。
現代の住民の感情と、どう関わるか。
平塚榎台の、正月行事をチェックする必要がありそうです。