清め塩

monodoiさまが興味深いことを報告なさってました。
京都府宮津市における「清め塩」をめぐる一悶着。
「お葬式などで配られるいわゆる「清め塩」の習慣をやめるよう市民に呼びかけたところ、市のホームページの掲示板は大騒ぎになり、市は撤回を余儀なくされてしまった」*1というものです。
しかも「宮津市に接する福知山市滋賀県草津市でも、市の広報やチラシを使って同様の啓発活動が行われて」いて、「大阪では、葬祭業者の組合が清め塩を自粛する動きも」あるという*2
いやあ・・・自分、以前は理系にいました。
理系のひとって、こういうこと言い出すことあるんですよね・・・
以前学友が「石女って生物として存在意義が無い」みたいな発言をしたことがありました*3
当時はひどいこと言うヤツだなあ、と思ってましたが。
なるほど、宮津市の言い分はこれと似てるようです。


人文科学が扱うのは、言うなればヒトの体の組織の一部、大脳皮質の働きが主、ということになります。
身体的な影響が皆無とは言えませんが、それよりも物事を認識し判断して行動する、という部位がほとんどです。
生物の体のごく一部。
ですがその認識と判断がえらいこと複雑であることは、実際にヒトの集団に暮らす我々が身をもって実感できるこでしょう。
「合理的に考えて意味が不明だけれども、それをやらないと気がすまない」ということは、日常非日常を問わず大いにあります*4
民俗学が扱う内容は、まさしくこのあたりだと自分は考えています。
「迷信に過ぎない」*5だけでは、その行為を止める理由にならないと考えます。
その行為を止めるならば、「やらないと気がすまない」に勝るデメリット(もしくはメリット)を提示するべきでしょう。
で、当の宮津市は「異論が噴出したことを受け、謝罪と共にチラシを廃止」*6ってのも、情けない。
こういうサイトhttp://portal.nifty.com/special04/10/01/の考え方のほうが、よほどマトモ。

*1:http://mbs.jp/voice/special/200605/24_2747.shtml

*2:引用同じ

*3:当時生物学では、個体の大きな役割のひとつは自身の遺伝子を後代に継承することである、みたいな説が流行ってました。大意ですが

*4:だからこそこういうサイトもあるのでしょう。http://www.chakuriki.net/index.html

*5:引用は1に同じ

*6:引用は1に同じ