認識と非認識

非認識なんて言葉はないような気がしますが、いまなんとなくつけました。
恐山の日記の中で、「自分には認識できないものに実感をもった人がいる」というようなことを書いてました。
よく考えると、こういうことって霊関係だけではないですよね。
科学なんて、それまで誰もが認識できなかった事柄に目を向けられることが、新発見の近道なんだし。
日常的にも、ある視点を知った途端に、それまでの日常を別の視点から見られるようになるような経験も、よく経験します*1
今の自分の感覚がどれほどのものを認識できているか、なんて、たかが知れています。
かといって、ならば実存かと疑心暗鬼になる必要もない。
上から見た視点で書いていたかと、ちょっと反省。

*1:赤瀬川原平氏の『超芸術トマソン』は衝撃的でした